1814 ノルマンディ地方、グリュシーの裕福な農家に生まれる。
1837年 エコール・デ・ボザールのポール・ドラロシュのアトリエに入門。
1839 ローマ賞に落選し退学。肖像画と看板絵、模作画を描いて生活する。
1840 友人の父を描いた肖像画『ルフラン氏の肖像』がサロンに初入選
1845 カトリーヌ・ルメールと駆け落ち同然でパリで生活を始める。以後9人の子供をもうける。
1846頃 後のバルビゾン派のトロワイヨン、ディアズ、ジャック、ルソーらと出会う。以後、農村をテーマとした新しい作風に変化していく
1848 無鑑査のサロンに出品した『箕をふるう人』が二月革命政権の内務大臣に買い上げられ、政府注文も受ける。
1850 サロンに『種をまく人』を出品
1853 『刈り入れ人たちの食事』がサロンで二等賞に。以後、サロン出品が無鑑査となる。
1857 サロンに『落ち穂拾い』を出品するが、卑しいものを描く画家、貧困を誇張するといった不評・批難と擁護・絶賛の両極端の評価となる
1875 バビルゾンにて死去。
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