●はじめに
ルノアールの作品は人気の高い印象派展のなかでもモネと並んで会場の華として観客をひきつけています。モネが風景画であれば、やはりルノアールは人物像、とりわけ女性像は彼の最大の魅力であり、時代をこえて永遠の美をかたりかけてきます。
晩年の量感のある裸婦像は芸術を結実させて高らかに燃えあがる生命の輝きを照らして健康な暖かさを湛えています。青年期に描かれた代表作「ぶらんこ」は女性のドレスが木漏れ日の中で揺れて紳士と楽しそうに話している場面を切り取り、印象派時代の戸外における光の効果がとらえられています。ムーラン・ド・ラ・ギャレットの華やかなダンスホールに集う友人たちを主人公に溌剌とした青春群像は、彼の社交好きで明るい性格を反映し、時代の華やかさを浮き彫りにしています。
ルノアールの魅力はモチーフの多様さにおいても見いだされます。結婚して子供をもってからのルノアールは、自らの日常の家庭生活の一断面を多く描いています。そこには社交の華やかな場面とはまた異なる一市民、父親としてのルノアールの妻や子供達にむける眼差しを感じ取れる。晩年には豊満な裸婦像において芸術の理想の美を追い求め一つの到達点を見いだしたのです。
●ルノアールの生涯
1841年フランスに生まれる。
1862年エコール・デ・ボザールに入学し、モネ、シスレーらと知り合った。ドラクロワやクールベの影響を受けた制作を経て、1869年からモネと印象派の技法を試み、1874年第1回印象派展に「桟敷席」他7点、76年第3回印象派展には「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を出品。
1880年代には自分自身の印象主義の行き詰まりから、アングルやラファエロに影響され、明確なデッサンと寒色を基調とした作風の時代に移行し、「アングル様式の時代」と呼ばれる線描表現をしていたこともあった。
1890年ごろより、もとの作風に戻り、裸婦や肖像を主として制作。豊満で量感に富む独特の画境を開く。1903年から彫刻も手掛ける。1906年よりカーニュに居を定め、1919年に同地で没。 |
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